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Phantasmagoria2222 blog

社会の事などについて書いています

長渕剛はネトウヨ的メンタリティじゃなかった

マッチョなパブリックイメージや、自衛隊への慰問ライヴを行っている事などから、長渕剛ネトウヨ的な存在と認識している人が結構多いようである。

かくいう自分も『男たちの大和』以来、戦争を美化するタイプのナショナリストと思っていたのも確かだ。

この考えに少し疑問を持つようになったのは、哲学者の佐々木中氏の著書の中の発言である。
男たちの大和』では、テーマ曲を長渕剛が、エンドロールでの曲をラッパーの般若が歌っているのだが、佐々木中氏は般若のこの曲に関して、よく聴けば戦争を煽るような内容ではないと述べている(佐々木中『アナレクタ2‐この日々を歌い交わす』より)。
映画自体は未見なのでここで断定することは出来ないが、確かに曲だけで判断する限り戦争を讚美する内容で無いことは確かである。

長渕剛と般若は、この映画だけでなく共に曲を作ったり、ライブを行ったりしている。またそれだけではなく私生活でも交流がある。

レイシズム運動の中にも日本語ラップを愛好する人は結構いるのだが、その人達からすらも般若は排外主義的な主張をするラッパーという決め付けがされているので、自分はここで般若の名誉を回復したいと思っている。
ただ、残念なから般若は初期のアルバムでホモフォビア的な内容の歌詞を書いているため、そこは批判しなくてはならない(Hip-Hopカルチャーにおけるホモフォビアの問題はかなり根深いと感じているので、これはこれで文章を書かなくてはならないと感じている)。

自分が、長渕剛ネトウヨではないと本格的に考えるようになったのは、文藝別冊から出版されている『長渕剛‐民衆の怒りと祈りの歌』という本を読んでからである。
ここで長渕剛と作家の柳美里氏が対談しているのだが、長渕は自分の歌が言葉の通じない韓国で歌われていることに対して良い意味でのアジア主義的共感を見出だしている。
長渕剛氏の在日コリアンへの共感は、近代的人権思想に基づくものではなく、福岡時代に家族同然に扱ってくれた在日コリアンコミュニティーへの思いが根底にあるようだ。

そして最近ふと目にしたのがこの動画である。

長渕炎陣その11「日本」について語りあう。最終回

日本というテーマの回にわざわざ在日コリアンと日本人のハーフである般若をゲストに呼び、その中で在日コリアンコミュニティで良くして貰った経験を語る長渕剛
日の丸や君が代より、家族の方が大事だと語る長渕剛
これは、テレビのバラエティなどでは大っぴらに語る事が難しい反レイシズム長渕剛なりに表現しようとした行動なのではないかと感じた。

般若/ 家族feat. KOHH