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Phantasmagoria2222 blog

社会の事などについて書いています

ブラックミュージックの新旧(変わり行く同じもの)

ピーター・バラカンさんがHIP-HOPを好まないという話を以前Twitterで書いた。
そのときは、HIP-HOPの性的表現や、ギャングスタラップの暴力性が原因という解釈がされたのだが、自分としてもどうも上手く説明出来なかったという思いがあった。
また、ピーター・バラカンさんがテクノやハウスなどの基本インストであるブラックミュージックについてどう考えているかは不明である。

かなり前だが、『文化系のためのヒップホップ入門』という本があった。ここにヒントらしきものを発見した。また、『ブラック・マシン・ミュージック』という本では、「ステレオタイプな善良な黒人」も「ストリートのリアルを表現する黒人」のどちらの事も批判的に語るテクノアーティストが登場する事もあり、現代のブラックミュージックを単純化して語る事はかなり難しい。
公民権運動時代のアフリカン・アメリカンのように、一定のステレオタイプが無くなってしまったというのも関係しているだろう。

90年代中盤辺りに、ヒップホップ・ソウルと呼ばれるタイプのR&Bが登場した。
これは、伝統的スタイルのソウルやR&Bとは違い、反復構造やループ構造のビートの上に歌を乗せたスタイルである。

そのため、きちんとした展開を持ったブラックミュージックである、オーティス・レディングサム・クック等をブラックミュージックの規準にする人からは評判が悪い。
ヒップホップ・ソウルのアーティストは、伝統的スタイルのソウルシンガーが「メロディ」を唄うようには歌っていない。
ループの上で、ジャズのインプロ的にメロディを歌うのである。
「ヒップホップシンギング」と呼ばれていた事もあったという。

現行のブラックミュージックをパクっているJ-POPは、ヒップホップソウルの構造を無視した状態で、ヒップホップソウルのイメージだけを引用しているため、古典的ソウルを劣化させたような音楽になってしまっている(EXILEなど)。この点K-POPは世界標準の構造(ループ、反復)を取り入れる事に成功していると思う。
日本人がゴミとして棄てたROLANDの電子楽器を使用して、デトロイトやシカゴの黒人達がクリエイティヴな音楽を創造したと知ったときは恥ずかしくなったものである(その上またそれをパクる日本人…)。

ちなみに現代のソウルシンガーでも、伝統的スタイルのソウル、R&Bを作っているミュージシャンは存在するのだが、あくまでアンダーグラウンドな存在である。

『文化系のためのヒップホップ入門』で、もう一つ興味深かった記述があった。
黒人音楽にはブルース、JAZZ 、ヒップホップなどの「芸名」を使用するジャンルと、ソウルやR&Bなど、本名で勝負するタイプに別れるのではないか?というのである。

前者は「芸名」を使用して、同業者と競う側面がある。
後者はあくまでアートとして単独に完結することを目指す傾向がある。
例えば、特定のJAZZミュージシャンだけを聴くジャズファンというのは珍しいのではないだろうか。ビバップ、モードなどのルール上で誰が一番センスがあるのか競うのが重要なため、いろいろなミュージシャンを聴き比べなくてはならない。
一方、ソウル、R&Bではマーヴィン・ゲイカーティス・メイフィールドなど、それだけを聴くという人は沢山いるだろう。

ピーター・バラカンさんの話に戻ると、西欧近代リベラルという価値観を持つバラカンさんからすると、「競う音楽」であるHIP-HOPは、アートとしては不徹底に見えるのではないかと思われる。
HIP-HOPリスナーが好む「競う」というルールの性質が、バラカンさんにとっては不自由や無個性に見えるのではないか。ここが埋めがたい溝なのだと思う。
真の近代主義者であるピーター・バラカンさんからすると、音楽は魂の表現なのだと思われる。一方、ポストモダニストであるDJ文化圏の人間からすると、音楽は「サンプル」と思われているのではないだろうか。

ここまで長々書いてきたが、かなりブラックミュージックの歴史を単純化しすぎてしまったとも思っている。
例えば、テクノやハウスもブラックミュージックである。『ブラック・マシン・ミュージック』に登場するテクノアーティスト達は、電子音楽の中に自分達のソウルが込められていると主張する。
アンダーグラウンドのテクノアーティストはHIP-HOPやメジャーの音楽を批判的に語るため、更にややこしい事になる。

良く考えると、アフリカン・アメリカンがルーツでない音楽はクラシック位のものではないだろうか。
ブルース評論家のリロイ・ジョーンズ(アミリ・バラカ)は、著書『ブルース・ピープル』の中で、ブラックミュージックの本質を「変わり行く同じもの」と表現した。
社会批判とは無縁なタイプのブラックミュージックであっても、「政治性」は必ず付きまとう。
このような事を考えていると、「音楽に政治を持ち込むな」という日本人の「政治性」が浮き彫りになるのであった。